Hameln



 耳を澄ませれば、川辺の草が風と唄う、さやさやという声に紛れて高い笛の音が聴こえてくる。美しく、奏者と違って澄んだ音色は、この一年晴れた日には欠かさずにヘンリエッタを慰めてくれた。雨の日や風の強い日には、自然の音にかき消されて届かない。それほどに遠い場所にいるのだと思い知らされて、そういう日は悲しくて少し泣いたりもした。
「今日が晴れてよかった」
 別れ別れになって今日季節が一巡りする。だからといって何が変わるわけもないが。
 一年前に最後に会った日、その一年後の今日。そんな日にこの笛を、想い人の存在を感じられないのは嫌だった。そのために軒には目と口だけで簡単を描いた紙の人形が、鈴なりにぶら下げられている。
「あなたたちのおかげね。ありがとう、テルテルボウズさん!」
 その中の一つを指でつんとつつくと、まるで胸を反らすように誇らしげに揺れる。手ずから晴れるようにと願いを込めて作ったのだ。その愛嬌のあるさまにくすりと笑みがもれた。
「あら…?」
 不意に何かに違和感を覚えて辺りをきょろきょろと見回す。が、目に見えて変わった様子はなく、諦めて窓辺に頬杖をついたときにはっとした。どこかで鳥が飛んでいるのか、羽ばたく音がする。
「笛の音だわ」
 いつもの通り綺麗で、けれどひとつひとつの音がはっきりと鮮明に聴こえる。まるで―
「寂しくて毎日泣いてるかとも思ったが、相っ変わらず落ち着きねぇなぁ」
 窓のすぐ外から、そんな声が降ってきた。よっ、という小さな掛け声の後に軽い音を立て着地する。ほんの一瞬前まで窓の外は星々の輝きで溢れていたのに、今ヘンリエッタの目の前は真っ黒だ。
 ぶら下がるテルテルボウズの一つに手を伸ばし、吊り下げる糸を摘んで揺らしながら口元をニヤリと歪ませる。
「ガキなトコも変わってないときた。一年でちったあ成長したかと期待もしてたが…ま、予想通りってトコだな」
「ハーメルン!?」
「おう」
 相変わらず黒一色の服を纏ったハーメルンが、ぐしゃぐしゃと乱暴ではない程度に髪をかき回す。突然現われたハーメルンに実は夢ではないかと疑いもしたが、長く男の人らしい骨ばった指が何度も触れて、そうではないと教えてくれる。とても久しぶりでとても安心する。
「…あんまり子供扱いしないでよね」
「ガキだよ、頭撫でられて喜んでるうちはな。
 …それとも、もっと別のコト、して欲しかったか?」
「なっ、ば、馬鹿!!」
 からかうように妖しげな雰囲気で言われ逃れようと肩を押す。頭を撫でていた手が、いつの間にか首の後ろに回され髪をかき分けて項に触れる。体温の低い指にゾクリと寒気とは違う何かが背を走る。掌で固定され、逃れられないようにして楽しげな赤い瞳が近づいた。
 本性を知っている今ではあまりそうは思わないが、それでも綺麗な顔が迫ると頬がカッと熱を持つ。唇にかかる吐息から逃れようにも顔を背けられず、ただぎゅっと目を閉じて息を止めた。羞恥と怯えで何も考えられなくなり、ただ身動きをせずにハーメルンのおふざけが終わるのを待った。
「…プッ、おい、ヘンリエッタ。頭っから火事だぞ。ちょっと刺激が強すぎだか?」
 傑作だ、と吹きだした声に目を開けると、先程よりは離れた距離にこっそりとホッとする。けれど危機が去った後に、改めてからかわれた、と思うとさっきとは違った熱が頭に昇る。
「知らないわよ、ハーメルンの馬鹿っ!!」
「どおどお、ほ〜ら落ち着け〜」
 言葉自体はふざけているとしか思えないが、その声は包み込むような優しさがあって、気付けば腕の中に閉じ込められていた。さっきとは違い、恥ずかしさよりも嬉しいという気持ちが浮かぶ。胸に耳を当てると心臓の音がしてとても落ち着く。
「…別に、毎日泣いてなんてないんだから」
 むくれていたくせに―怒らせたのは自分だが―胸に耳を寄せる姿は甘えているようにしか見えない。久しぶりに見る強がりを言う姿は、記憶の中のものより可愛げがあるように思えて頭を撫でてやった。
「分かってるよ。…つーより毎日泣かれてたら、笛吹いてた意味ないだろ」
 弾かれたようにヘンリエッタが顔を上げる。顔が近いせいか身を引こうとするが、それを許すつもりはない。それなりに苦労したのだ。これぐらいは正当な権利だろう。滅多に言わないし、他の誰にも聴かせる気のない言葉を赤く染まった耳に囁いた。
「お前は、俺の、かけがえのない聴き手だろ?」
 ずっと離れていたというのに、とんでもない殺し文句だ。ハーメルンはズルい、とヘンリエッタは心の底から思う。普段は意地悪だったりこっちを馬鹿にしたりからかったり、人の悪いニヤリとした笑みを浮かべるのに。
 そのくせ、こんなときだけは、優しくて温かくて寂しくて泣きそうな瞳で笑うのだから。
 胸が苦しくなって何も言えなくなって見ていられなくなる。
 きっと、そう、悔しさのせいに違いない涙を、目を瞑って誤魔化して背伸びをした。
「そうよ、ずーっと一緒なんだから」
「!…へぇ、お前からってのは珍しいな」
 軽口を叩いているけれど、一瞬驚いていた。それが嬉しくてつい笑みをもらす。けれど―
「こっちじゃないのが残念だけどな」
 ハーメルンの方が一枚も二枚も上手で、唇をなぞる指だけで動揺させられてしまった。
 無茶を言わないで欲しい。頬だけで精いっぱいなのに。


「ところでハーメルン、どうやって来たの?」
「あ〜色気のない質問だな、おい」
「…何よ、気になるんだもの、いいじゃない。大体色気のある質問って何?」
「そりゃ…
 ま、それは置いといて、だ。手頃な鳥を笛で操って乗っかって来たんだよ」
「あーあの真っ白で尾の長い鳥さんね」
「そ、背中は黒いけどな」
「でもハーメルン。その方法ならもっと早く会いにこれたんじゃ…」
「そこら辺は大人の都合ってやつだな」


鳥さん=鵲です。ですが、烏よりも小さな鳥だそうですので…ハーメルン乗っけて飛ぶとか、無理。
大人の事情=私の事情。七夕の話だから七夕でようやっと再開してもらわないと困るんですよ。

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